復活!スコップホルモン

全国各地にある旧炭坑地域では炭坑ホルモンの名で地域おこしをしていますが、ここ大嶺炭田では、坑夫たちは身近にあるスコップの上でホルモンを焼き、食していたことからスコップホルモンとして親しまれていました。

■ スコップホルモン提供店舗

串焼き居酒屋 厚狭川
住所 山口県美祢市伊佐町伊佐5393-1
電話番号 0837-52-5666
営業時間 17:00~23:00
定休日 月曜日

食彩館
住所 山口県美祢市美東町赤1246-1 秋吉台リフレッシュパーク内
電話番号 08396-2-0132
営業時間 10:30~15:30
定休日 木曜日(祝日の場合は営業)

あまいろ食堂
住所 山口県美祢市於福町4383-1 道の駅おふく内
電話番号 代表(道の駅おふく) 0837-56-5005
営業時間 10:00~15:00

■ 大嶺炭田の歴史

明治に採掘がはじまった大嶺炭田の石炭は煙や臭いがほとんど出ない無煙炭です。
NHK大河ドラマ『晴天を衝け』の主人公に取り上げられた「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一が明治半ばに大嶺炭田の炭坑経営に乗り出し、明治30年(1897年)には長門無煙炭鉱株式会社を設立しました。
日清戦争時に海軍艦船の燃料として使用した石炭の多くは有煙炭でした。有煙炭は黒煙を吐き出すため、敵からその存在を安易に発見されてしまうという問題があり、大嶺炭田の無煙炭が着目されました。
そこで海軍省は大嶺炭田の買収に乗り出し、日露戦争開戦直後の明治37年(1904年)、長門無煙炭鉱株式会社とその周辺鉱区を買収し、海軍直営で大嶺炭田の無煙炭を用いて軍事用の練炭を製造することになりました。
昭和30年代、全盛期を迎えた山陽無煙炭坑では、社宅家賃、水道、浴場無料など手厚い福利厚生がなされており、当時、テレビ普及率が日本一であると豊浦社宅が報道されたと伝えられている。
昭和41年(1966年)以降、山陽無煙炭炭坑は採炭を続けていた地域も経済的に採炭可能な場所の石炭は次第に掘りつくされていき、大嶺炭田の炭鉱はいったん全て閉山した。

山陽無煙鉱業所と麦川の町
 

『大嶺炭田回顧録 むえんたん』発行:美祢市教育委員会

山陽無煙美祢 貨車に積む 昭和28年頃
「連結音雪雲重く動き出す 有田稔(雪城)」

『炭鉱ー戦後50 年のあゆみー』発行:宇部市